勝覚寺について

勝覚寺について

妙好人 庄松同行ゆかりの寺 真宗興正派 海暁山 海暁閣 勝覚寺

妙好人 庄松同行ゆかりの寺
真宗興正派

海暁山 海暁閣
勝覚寺

坂西(徳島県)城主、赤澤信濃守、中富川の合戦において、討ち死にした後、赤澤信濃守の一子、正本法師菩提を弔うため、大坂天満興正寺で得度し、丹生に勝覚寺を開基する(天正年間)

海暁閣

海暁閣かいぎょうかく

本願寺第二十代御門主、広如宗主より、山号、海暁閣を賜り、四国唯一の閣寺院として、今日に至る

讃岐国名勝図絵に描かれた勝覚寺

山門

山門

東門とも呼ばれ、安永三年(1774)備前国西大寺観音院の門を移築した袖堀付きの切妻造り一間棟門であり、段違いの屋根が特異であり、巻斗の浮き彫り、棟門冠木・飛貫間の牡丹唐獅子などに凝った彫刻が施されている。

経蔵

経蔵

亨保五年(1720)建立、外部全面塗り込めの宝形造りの三間の経蔵で、堂前に「毘盧蔵」の扁額が掲げられ、内部に同時代作の八角輪蔵が置かれて、その中に鉄眼和上訳の黃檗山版の一切経が納められている。
この八角輪蔵は六千五百余巻の一切経を蔵する回転式輪蔵で、五世紀初頭に中国の南梁の傳大氏・名を傳翕(ふきゅう)(497-569)傳大士とも双林大士、東陽大士とも呼ばれる人が考案した回転式の書架で、字の読めないものでも、この輪蔵の扉を押して回すだけで読経と同じ功徳があるとされているものである。